カテゴリ:デッサンとは( 2 )

このようなタイトルをつけると、すぐにラクに、デッサンがうまくなる方法がある…
とでも言うのかと思われそうですが、そういう主旨ではありません。
しかし、効果的なトレーニングの方法はあると思っています。

それには、トレーニングの目的を良く理解することも大切です。


まず、鉛筆デッサンは、鉛筆の使い方のトレーニングではありません。
鉛筆で描くテクニックを覚えるためのトレーニングではありません。

このように描けばこのように見える、こういう場合はこう描けば良い…
そういうことをいくらたくさん覚えても、それだけでは良いデッサンは描けないし、
デッサン力が身についたことにはなりません。
長い年月、数多くのデッサンを描き続けていれば、自然に鉛筆の使い方はうまくなり、
それなりのhow toも覚えられるだろうと思いますが、それがデッサンの目的ではありません。

もし鉛筆の技術を上達させるのが目的であれば、デッサンの応用範囲は限られたモノになってしまいます。
何故デッサンが、色々なアートの基本と言われるのかを考えれば、
必ずしも鉛筆のテクニックとは関係のないものであることがわかると思いますし、
こう描けばこう見えるということを覚えるだけなら、実際にモチーフを見ながら、
かたちを測ったり観察したりする以外に、もっと効果的な方法がありそうです。


それではデッサンは何を目的としているのか…

(本来の、広い意味でのデッサンとは、作家が自分の作品のための資料として、
また、エスキースやアイデアスケッチ的な意味で描くもの等も含まれると思いますが、
ここでは狭い意味のデッサン、つまり色々なジャンルの表現や造形などのための
基礎トレーニングとして行なわれるデッサンについて書いています…)


デッサンで磨かれるのは、観察力(物の見方)そしてイメージを具体化する力、
そのような、表現の基礎となる、自分の内側で行なわれる作業を強化する力…であると思います。
表現のテクニックは、その後から付いてくるのです。


デッサンでは結果として出来上がる作品よりも、そのプロセスに重要性があります。
デッサンを制作していく内に、それまで見過ごしていたものが見えるようになること、
見えなかったものが見えるようになること…これがデッサンの目的と言えます。


そのためには、見えるものを見えたとおりに紙の上に表わそうとして
自分がどんなものを描いているのか、それが本当に見えるとおりなのか、
見る(モチーフ及び自分の画面を…)というインプットと
描くというアウトプットのサークルを回す事が大切です。

このサークルを回す内に、それまで自分は、ものを見ているつもりで
実はそのものの存在を認識した時点で頭の中にある観念と無意識にすり替えていた事に気づかされます。

そして実際に視覚が捉えている映像には、認識のフィルターにより、削除されていた情報が
数多くあったことがわかってきます。

このフィルターは、各個人により微妙に違うものであるかもしれません。
ですからフィルターを外したものを表現しなければ、他人には正しく伝わらない可能性も
あるのではないかと考えられます。

これに気づかないまま、自分と同じフィルターを持つ人にしか伝わらない表現しかできないか、
それらのフィルターを外した状態を知った上で、敢えて意識的にフィルターをかけた表現をするのか、
この違いは大きいのではないでしょうか。


このことをしっかりと意識して、デッサンでは、とにかくモチーフをよく見る、
見えるものを見えるとおりに描く事に徹する、そしてモチーフと自分の画面とを見比べる、
違うところを探し出して直す、更に観察する、見えるものをもっと探す、描く、見比べる、
直す、描く…この繰り返しです。

どう描けばどう見えるかなど考える必要はありません。

目の前のモチーフが、どうなっているのかを観察し、そのとおりに描けば良いだけです。
モチーフと同じように見えないのは、何かが違っているからです。
どこが違うのかを、一つでも二つでも、見つけ出しそれを描くだけです。

このようなデッサンをしていれば、どういうところを観察すると、重要な調子がみつかりやすいかとか、
かたちを捉えるポイントはどこかとか、自分はどういうところを見落としやすいのか等々、
観察のポイントというべきものがわかってきます。
これが、【上達】への道です。


汚れなくきれいに整って仕上がった作品が必ずしも良いデッサンではありません。
始めの計画通り順調に、どこも直すことなく仕上がることが理想的とは言えません。
むしろ、始めには見えなかった変化を発見し、形の狂いに気がつき、それらを直し、
描き込んで行けば、予想外の線や調子が入って【きれい】とは言えない仕上がりになってしまったとしても、
その画面からは、存在感や迫力などが伝わり、自然な空間が感じられる作品となっているかもしれません。
それがデッサンでは重要なのです。
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by hiratsukadessan | 2010-10-30 04:33 | デッサンとは
デッサンについて、「パース」が狂っているとか、「パース」がキツイとか、
画面やもののかたちの奥行きの表現について「パース」という言葉を使うことがよくあります。

「パース」とはパースペクティブperspective・・のことで、
透視図法に基づいて描く透視図のことを「パース画」と呼びますが、
デッサンでは、透視図法的にかたちの描写を検証する際にこの言葉を使います。

透視図法には、一点透視法、二点透視法、三点透視法などがあり、
平行な直線が集約されていく「消失点」を設定して、図法に基づいて描くのが透視図です。
所謂「パース画」は、このような図法により、図面と数値に基づいて作成された「図面」です。


デッサンでは、数値は用いず、肉眼で観察することのみによって、
実際に自分の目で見えるとおりに描写しようとするものですが、
遠いものほど小さく見えるという遠近法の考え方は共通です。

ではデッサンも、あらかじめ透視図法によって画面全体の構図を決めて描き始めれば、
簡単に、正確なかたちや空間を描けるのではないかというと・・・

実際には、近距離の観察では画面に納まる範囲内に消失点を求められないケースが多いと思いますし、
図法的に正確な理論上の視点を定めることは簡単な問題ではありません。
そして複雑な曲面や不定形の面の変化により構成されるかたちでは、
消失点に繋がる平行線を見つけ出すのはとても難しいのではないでしょうか。

ですからデッサンの場合、先に遠近法ありきで図面のように画面を組み立てていくのは
困難でもあり、すべてのかたちを遠近法だけで捉えることは現実的ではありません。
またデッサンの目的は単に構造的に正確な図を描くことではありませんので、
結論としては、そのようなアプローチは適切とは言えないと思います。


けれども基本的には遠近の表現は透視図法に共通ですから、
特に角柱や直方体、円柱などのような基本形に還元できるかたちの見え方を確認する場合、
また複雑なかたちを、これを取り囲む基本形態に置き換えて画面上の配置や大きさを決める場合など、
透視図法を応用し、補助線を引いて描写の手助けにしたり、かたちの修正の目安にする場面は少なくありません。

(補助線については別に述べます。)

したがって、透視図法についての基本的な理解は、デッサンを進めるに当たって、意味のあることだと思います。
しかし、デッサンの経験を重ね、デッサン力のいくつかの要素、観察力、イメージ力、等を高めて行けば、
透視図法的な描写は、図法を引用せずとも直感的に行えるようになって行くはずです。

数値に基づいた正確な作図法は、イメージの表現や伝達のために重要な方法だと思いますが、
例えばそれ以前に自分のイメージを練り、具体化していく段階の作業や、
図面から、リアルなイメージを得ようとする際に、必要なのは、
実物をより詳しく観察し、空間を捉えようとし、そしてそれを描写、表現しようとする
デッサンの経験から身についてくる「デッサン力」と呼ばれる各種の感覚ではないかと思っています。


写実的な絵画の遠近法のひとつとして、幾何学の世界の透視図法が応用されるようになり、
奥行きのある絵画表現が生まれてから、長い時が流れ、現代の我々はそれを用いた絵画表現を
当然のように感じていますが、目の前のものを観察して描こうとする際に、
必ずしも透視図法的に見えているとは意識できない事も多いことを考えると、
画法として透視図法を用いる・・というのはすごく大きな発見であっただろうと想像できます。。
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by hiratsukadessan | 2010-10-19 00:34 | デッサンとは